幸いしばらく歩いても、洞窟は入り組んではいなかった。むしろ良い感じに大きな岩が退けてあり、足場は悪くても進めないと言うことは全く無い。
俺が思うに、この洞窟は召喚声歯車の採掘に使われていたものに違いない。長い間人が入った形跡は無くても、人が手を入れたであろう形跡がいくつもあった。
召喚声歯車は繰り返し採掘が可能だ。作物と同じように土壌の条件を整えて、数年程度の間隔を空ければ適期に採掘できるようになる。
親父と市場に召喚声歯車の買い付けに行くことは、なんてことのない日常風景だった。それが実際にどんな場所でどうやって採掘されているかまでは深く考えたことが無かったが。
俺のこの銃剣も召喚声歯車で作ったものだし、考えようによってはこの場所もある意味身近な場所なのかもしれない。
「お、風が吹き込んで来るな」
所々天井に穴が開いており、そこから梢と青空がわずかではあるが確認でき涼しい風も吹き込んで来た。もっと湿気に満ちた薄暗い道が続くと想像していたので、幾許か俺の表情は綻んでいたはずだ。
残念ながら親父の姿は見つからない。やっぱり親父は入ってきた方の外に行ったのだろうか。見つからねぇもんは仕方ないしなぁ。
頭の片隅で親父の事も気にしつつ足を進める。そのうち、徐々に通路の奥の方からさらに強い風を感じるようになってきていた。出口が近いと思って良さそうだ。
やれやれ、いろいろ取り越し苦労だったぜ。
そんな安堵の気持ちで角を曲がろうとした、その時だ。
角から黒い影が勢いよく飛び出てきたのだ!
「……!?」
そして次の瞬間、その影は俺目がけて猛突進をしかけてくる。俺は吹っ飛ばされて、そのまま大きく体制を崩し地べたに這いつくばる体制になった。
あまりにも突然の出来事に、何が起きたのか理解が追い付かない。
魔物か!?
いや、人だ!
上体だけ起こすと、慌てて銃剣を構える。
が、構えた瞬間、手を蹴り上げられ銃剣まで吹き飛ばされた。
「んなっ! ああっ」
俺は生命線とも言える銃剣を失い、狼狽の声を上げた。
同時にそれは俺に馬乗りになって襲ってきたのである。
ダメだ、殺される!
得体の知れぬ影に胸ぐらを掴まれ、最悪の状況を覚悟する。俺は目を見開き、ライトで照らし出されたその影の正体を確認する――。
お、女……!?
ライトで照らし出されたのは、ルビーのような燃える紅い瞳の女だったのだ。
「……!」
ライトで下から照らされたその表情はまさに鬼の形相である。
こ、怖ぁ……!
「おまえ、何も言わずにこのまま私の《召喚声》になれ」
「は、はぁ!?」
なんだって!?
「私の召喚声になれと言っている!」
ガッ!
怒号と同時に思い切り右頬を殴られる。
続いてもう一発殴られたかと思いきや、勢い良く地面に叩き付けられ足蹴にまでされる。
「何度も同じ事を言わせるな。動力が切れかかっているんだ」
全くもって意味不明な状況である。
突然現れた女にぶちのめされつつ、一方で差し迫る勢いで懇願もされるとは一体どういうことだ。
「う……痛ぇ……」
口の中に鉄の味が染み込むように広がった。鏡を見なくても、今の自分の顔がどうなっているのかは容易に想像できる。
俺は、落ち着け落ち着け……と深呼吸すると、鼻血を拭いながら恐る恐る地べたからライトで照らし出される女を改めて見上げた。
突っ立っていたのは、まさに絶世の美女というやつだ。ただし、この上なく不機嫌そうな表情で俺を見下ろしながらだが。
くすんだ明るい蜂蜜色の長い髪に、吸い込まれそうな鋭い真紅の瞳を際立たせる長い睫毛。スラリと伸びた手足を強調するような、コルセット風の衣装。その容姿の中でも、俺の視線が釘付けになったのはその両脚である。
「そ、そうか……おまえ《錆声者》だな……?」
錆声者。
それは身体の一部が召喚声歯車で作られている人間のことであった。生前、命を落とす要因となった己の身体の欠損部位をそれを材料として補い、そこに動力を流し込み蘇生させる――。
女は脚がそれに該当するようで、膝から下の両脚は召喚声歯車で作られた義足だった。
そう。この女は一度死んで生き返った人間なのだ。
「何で俺がおまえに関わらなきゃならない?」
「事態は急を要するからだ」
「きゅ、急を要するって、急すぎるだろっ」
会話ができている間は命の危険性が低いと判断し、少しだけ落ち着きを取り戻した俺は絞り出すような声で女に言い返した。
先に女が言った召喚声とは、召喚声歯車に動力を注ぎ込む力、あるいはその力を制御する者のこと指すのだが。
つまり、だ。この女は俺に対して、機械の身体のエネルギーチャージ係になって欲しいと要求してきているのである。
まどろっこしい説明よりも、まさにこの一言だ。
しかし、なんだって突然俺がそんな係にならなきゃならねぇんだ!
「おまえに選択肢は無い。私と出会ったのが運の尽きと思って諦めろ」
「諦めろだと? あまりにも突然過ぎるぜ、一体何なんだよ!」
「物事や出会いはいつも突然だ。この状況を理解して受け入れろ」
今の現場だけ見たら、美女と、その美女にいたぶられ興奮して鼻血出している変態がいる図である。いや、むしろそうじゃなかったのが残念というべきなのかこれは……。
「断れば殺す」
「殺すだって!?」
物騒すぎるだろ、この女! でも目が本気だ。
女は少し苦しそうな、切羽詰まったような目つきで言い寄ってくる。前言撤回で命の危険性を肌で感じてしまい、冷や汗をかくしかない。
「お、俺がおまえの召喚声に……」
「そうだ」
何処ぞの見知らぬ女から、突然こんな形で懇願されるたぁ、あまりにも予想外すぎるぞ。しかも状況的に逃げるのは難しそうときた。
殺されるか、話を受け入れるかの二択しかない。そう、女の言う通り、状況を理解して受け入れるしか――コイツの手の早さと力の強さを見る限り、反撃するのもやめておいた方が賢明そうだ。
「俺に何かメリットはあるのか?」
どうしようもなく、それっぽい質問をして相手の出方を観察する。
「さぁな。有るかもしれないし、無いかもしれない」
「……」
「頼む、私と契りを交わしてくれ。突然の事で混乱しているだろうが……私はまだ倒れるわけにはいかないんだ」
「契り……?」
契り。
こんな時にもかかわらず、俺の欲求不満な気持ちが男女の情交を連想させるキーワードに反応してしまう。こ、これは……断ったら本当に殺されそうだし、だったらもう大人しく相手をした方が良いのでは……?
「詳しい事情は後から話す。まずは契りを交わして私に動力を与えてほしい」
「わ、分かった。おまえと契りを交わそう」
こうなったらもうヤケクソだ! そうさ、人生は唐突な事の繰り返しだしな。行きずりの女とまぐわうのも人生経験の一つってもんだ。
俺は意を決し荷物を下ろすと、そそくさとローブを脱ぎシャツのボタンをはずした。
全体的には華奢でも、この豊満な尻はなかなか魅力的だし触れてみたい――ちょっと場所が気に食わねぇけどな。この際細かいことに構ってられるか。
「……契りって今ここで交わすんだよな?」
「そうだが?」
「脱がないのか? いや、脱がした方が」
「……おまえはアホか。指輪を嵌めるから手を貸せ。輪の契りだ」
怪訝な表情で俺を見やる女は、どこから出したのか赤く輝く指輪を手にしていた。魔性の輝きを放つ、見るからに怪しい力を秘めていそうな指輪である。
契りってそっちの契りかよ!
内心ちょっと期待したのにこの野郎! と口に出せない代わりに俺は不満気な目で女を睨み付けた。
女はしゃがみ込み、差し出した俺の手を乱暴に取る。そして、俺のやり場の無い気持ちなんか完全に無視して、右の薬指にねじ込むようにその指輪を嵌めた。女の指元を見ると、こいつの手にも同じ指輪が嵌められている。
「この指輪は簡単には外せないぞ」
「なんだと」
「正確には、肌身離さず持っていないと身に不幸が降りかかる」
完全に呪いのアイテムじゃねぇか!
「これで契約は完了だ。さぁ、動力を注ぎ込んでもらおうか」
バサッ。
またしても俺の突っ込みが追い付かないうちに、女はどこから出したのか一冊の本を投げてきた。五センチ程の厚さがあるだろうか、くすんだ青い表紙に金色で細かい装飾が施された辞書のような重みのある本だ。
「これは……?」
「召喚声の全書だ。本の存在自体は知っているだろう? それを行使して声の力を召喚するんだ」
それはこの世界で生きる者として、その存在を知らないわけが無い。
ただし、実物を自身の手に取って目にするのは初めてだった。
そう、召喚声歯車という鋼は実に不思議な物体で、抜群の強度を持っているだけではなく、人の声に反応する鋼でもあるのだ。
例えば――平歯車発電だ。
召喚声歯車に平歯車の加工を施して「廻る」という回転の声を与えれば、そこから人々の生活に欠かせない動力が生まれる、と言った具合に。
もっとも人々の生活を支えるような召喚声は王宮の人間で、実際に把握している現場の情報はこれもまたテレビや教科書などで見る程度のものだ。
俺に限らず大多数の人間が、そういう自分達の生活を支える仕組みがある、という事実しか把握していない。
部屋の電気スイッチを入れれば灯りが得られて、コンセントにプラグを差し込んで家電が使えれば、話としてはそれで充分なのである。
話にしか聞いたことがなかった全書の重みを感じ、少し関心してしまった。
「おい。ボケッとするな。全書の二十五ページ目の中段を見ろ。そこの言葉を指でなぞって力を召喚するんだ」
「あ、ああ」
なんだって……二十五ページ目の……。
パラパラとページをめくり、該当のページを確認する。
――「動力の声」。これか。
「なぞるだけで良いんだな?」
「左から右になぞるんだぞ。逆になぞったら真逆の力が召喚されて、逆に力を奪うことになるからな」
力強く、刺すような勢いでこちらを見やる視線が怖い。
「分かった」
「気をつけろよ。左から右だ。絶対に間違うな」
女が念を押すように確認してくる。
力を奪うと言うことは、立場的に俺の方が有利なのか?
いや、この力がよく分からない以上、今は余計なことは考えずに言われた通りに従っていた方が良さそうだ。
あれよあれよという間に、誘導されるように話が進んでいく。俺は初めてのことに奇妙な違和感を抱きつつも、ちゃんと言われた通りに「動力の声」の節を左から右に素早くなぞった。すると、だ。
「よし、いいぞ」
なぞった節の文字が赤く光ったのと同時に、女の脚も鈍く赤い光を放ち始めたのだ!
怪しい赤い光を放つその文字は、血がじわりと滲み出るように本の上に浮かび上がる。フワッと浮かび上がった文字が消え去ると同時に、女の脚の鈍い光も収まった。
「……!」
こ、これが召喚声の力……!
俺は本に書かれた文字をなぞっただけなのに、目の前の筆舌に尽くしがたい光景に手に汗を握っていた。
「初めてにしては上出来だ。いいか、その全書は私を司る全書でもあるんだ、死んでも無くすなよ」
「おう。任せとけ」
何が任せとけなのかと自分に突っ込みそうになりつつ、体面的にはとりあえず胸を張って答えてみる。
女も脚の手応えを確認し、満足そうに不敵な笑みをこぼした。脚は見た目には何も変わっていないが、女の表情を見る限り問題なく動力が注ぎ込まれたのだろう。
これは凄いぞ!
死を覚悟する事態に遭遇したかと思いきや、一転して誰もが羨みそうな力を手に入れてしまったのだ。
なるべく顔には出さないようにしたつもりでも、気持ちは高揚しきっていた。