3:俺と謎の女 - 3/3

「さて……自己紹介が遅れたな。私はヨルティーだ。おまえは?」

 豪華な飾りが施された羽根つきシルクハットをかぶり直し、女――ヨルティーはサラリと名乗った。

「俺はチクワだ。チクワ・ニィル・ヴォンゴーレ」
「そうか。チクワ様か」
「チクワ、さま?」
「契約関係ができたからには、おまえが何であれ私の主人だからな。こう呼ばせてもらう」

 思いがけない呼び方をされ、オウム返ししてしまった俺にヨルティーは当たり前のように答えた。

「なんだ、不満か?」

 人を足蹴りしたとは思えない、さっきよりは幾らか丁寧な雰囲気でヨルティーは静かに微笑を浮かべた。目つきの悪さは相変わらずだが。でもちょっと癖があって可愛いかも……。

「長い付き合いになるんだ、堅苦しいのは無しにさせてもらうぞ。私は私のペースで振る舞わせてもらうし、遠慮はしない」

 長い付き合い。
 俺はヨルティーの「長い付き合い」という言葉で気が付く。
 契約関係が生まれると言うことは、行動を共にするということではないか。ヨルティーのエネルギーチャージは定期的に行うことになるのだろうし、え、ちょっと待てよ――。

「な、なぁ! 俺はいつまでおまえと一緒にいれば良いんだ? 俺とおまえの契約関係はいつまで続く?」
「一生だ」
「ふ、ふざけるな!」

 馬鹿野郎! この女は何涼しい顔して恐ろしいことを言ってんだよ!?
 一瞬そんな気がして尋ねてみたら案の定だ。
 本人からそれを肯定する回答が出てきて俺は内心穏やかでいられなかった。高揚した気持ちが一転して落胆のどん底に向かう。

「一生って、一生一緒にいるのかよ!」
「安心しろ、物理的に常に一緒にいなきゃならないという意味ではない。定期的に動力を与えてくれればそれでいい」
「当たり前だろ! 寝ても覚めても常に互いの顔を見て過ごすなんてどんな関係だ!」

 新手の結婚詐欺か何かか!
 俺は指輪を嵌めた手を怒りで震わせた。

「契約破棄することはできないのか? そう、次の適当な相手が見つかったら、そいつに力を譲れば……」
「力自体は、おまえが望んで手放せるものではない。その力はなかなか手にすることはできんし、一度手に入れたら手放すことも容易ではない」
「いや、そうじゃなくて」
「突然話を振ったのは悪かった。ひとまず力自体に害は無いからそこも安心しろ」

 全くもって悪いなんて思っていない素振りで、ヨルティーは当然のように言いのけた。

「もっとも、おまえ自身も気付いているように、私との契約関係を終わらせたかったら私の動力を奪うという手もあるがな。力を持つこと自体と、私とおまえの契約関係は別物だ」
「つまり……俺はおまえの動力を奪うこともできるし、或いはおまえとの契約関係を放棄して、力だけ持ったままトンズラすることもできるってことか?」
「そういう行動を取らないことを期待している」

 厄日だ。厄日過ぎる。
 ヨルティーから感じるこのプレッシャー! 逃げられる気がしねぇ。

「は……はは」

 俺は力なく笑うと、もうこれ以上自分とこの女の関係を深く考えるのはやめておこうと心に誓った。今できる最大の現実逃避である。
 そう、動力はいつでも奪うことができるのだ。こいつから感じる並々ならぬプレッシャーはあっても、同時に選択権も俺側にあるのだから。

「……で? おまえ……その、エネルギーチャージは済んだんだろう。本来の目的はなんだ、これからどうするつもりだ? 俺はどうすれば良い?」

 気持ちを切り替えて俺は前向きに話を進めることにした。

「とあるヤツを探している」
「なに、とあるヤツ?」

 一瞬、ヨルティーの鋭い紅い瞳の奥に、憎しみの炎のようなものが垣間見えた。俺は初っぱなから核心に迫る聞いてはいけないことを聞いてしまったのだろうかと不安になる。

「見つけ出して息の根を止めたいヤツがいる。そいつを探し出して殺す、それが私の目的だ」
「随分物騒じゃねぇか」

 サラリと殺すという単語を使うヨルティーに、とても冷たい物を感じる。

「恨みを買うようなことをする方が悪い」
「つまり、復讐……ってことか?」
「そうとも言う」
「そ、そうですか」
「さっきも言ったように詳しい事情は追々話す。まずは一緒に来てもらおうか」

 悪鬼の形相で殺すなんて言うもんだから俺は気後れしてしまい、そこから先は無言で頷くのが精一杯だった。目力だけで人が殺せそうな勢いだぜ。
 だって、物騒でも何でも俺もそれに付き合わなきゃならないってことだろ? 行動を共にするということは、そこは言わずもがな、である。まさに召喚声と錆声者は寝ても覚めても一蓮托生ってやつだ。

 何やら、聞けば聞くほど面倒臭いことになっていく。
 だが俺は、あえて今はこれ以上深く尋ねることをしなかった。
 突然、復讐劇の登場人物に抜擢された段階で、この上ない予定外の出来事だ。そしてヨルティー本人が詳しい事情は後で話すと言っているのだ。とてもじゃないけど、この状況でこちらから詳細を聞く気にはなれなかった。
 それよりも、万が一その場面になったらどうしよう。俺はその復讐相手というヤツとは無関係だし、この通り復讐したい理由も分からない状態だ。

 俺の立場的には、適当に仲介して仲直りさせる段取りを考えておいた方が良いのでは……いくら何でも人殺しの手伝いをするというのはマズイだろう。
 俺はとても動揺していたのだが、表にはそれを出さないよう内心ひっそりと、名前すら知らない相手との仲直り計画を考えることにした。 

「チクワ様は何故ここに?」

 あれこれ憂慮していると、ヨルティーの方から質問してきた。

「俺か? 自分はいろいろあって、親父とはぐれてな。いや、はぐれたというか、勝手にいなくなったというか」
「父親とはぐれた?」
「ああ。親父と二人でインに向かっている途中だったんだ。道中、風が出てきたもんだからこの洞窟に避難したんだけどよ」
「続けろ」

 と、言われても、今話したことがほぼ全てで、そこまで大事に話すような経緯でもねぇんだがなぁ。
 
 俺は困りつつも、城塞都市で鉄砲鍛冶屋を営んでいたこと、話の流れで親父と家を出てインに向かうことになったこと、そして、その途中にキャンプとして選んだ洞窟で突然親父がいなくなったこと。これらを改めて順番に話していった。

「ここから先は、特に入り組んだりもしていない。他には誰も通っていないから、おまえの父親は洞窟の外にいると思って間違いないだろう」

 俺が進んできた逆側、つまりここから先も同じような道のりってわけだ。

「外は暴風で天候が悪かったんだ。それで洞窟に避難したってのに、そこからまた外に出て行くなんざワケが分かんねぇぞ」
「でも現に洞窟内には私とチクワ様しかいない」
「確かになぁ、先に進むしかないか」

 一応置き手紙はしてきた。荷物が無くなっていたことを考えると、さっきの場所に親父が戻ってくる可能性はほぼ無さそうだがな。家に戻る選択をしない以上、目的地に設定していたインに行くのが一番ベストではないだろうか。
 もっとも、このヨルティーの復讐劇の登場人物になってしまった以上、家に戻ってぬくぬくという訳にはいかなくなってしまったし、インに向かうのもどうなることやらである。

「おまえこそ、なんで此処にいたんだ? 女一人でこんな洞窟になんて」
「特に深い理由は無い」
「ふーん。まぁいいがな」

 目をそらしながらもその奥に不機嫌そうなものを感じたので、これに関してもこれ以上は聞くのをやめておく。

「とりあえず服を着ろ」

 言われて、胸元がはだけたままだったのを思い出す。気が動転していたとは言え、なかなか恥ずかしい勘違いだ。

「全くもっておまえというやつは愚かなやつだな。どこからそんな考えに行き着く?」
「ち、契りって言われたら、そっちを連想するだろ。 愚かとは失礼な言いようだなっ」
「欲求不満か? ま、その冴えない顔では相手をしてくれる女もいないわけか」

 こ、この野郎ぉ!
 なんて失礼な女だ、おまえこそ粗暴で口も悪いし性格も最悪じゃねぇか! ちょっと美人だからって調子に乗ってんじゃねぇぞ!

「なんだ、私の顔に何かついているか? それとも」
「なんでもない!」

 俺は烈火の如く憤慨したが、何度も言うようにこれ上話をややこしくしたくなかったので、シャツのボタンをとめつつ全力で言葉を飲み込んだ。クソッ! この女、そのうち目にもの見せてやるからな。覚悟しておきやがれ!

「で!? 結局この先何処に向かうつもりなんだよ」

 内心ムカっ腹のまま、ヨルティーに目的地を投げる。

「よし、このままインに向かうぞ」
「えっ、インで良いのか?」

 てっきりヨルティーの目的地に直行だと思っていた自分は、その言葉を聞いて拍子抜けした。

「そうだ。インで構わない。一秒でも早くヤツの息の根を止めてやりたいところだが、今どこにいるか正確な場所が分からなくてな。インに関係者がいるから、そいつらから情報収集するのも悪くないだろう」

 関係者? 関係者がインにいるだって?
 つまり、俺はそこの情報収集にも付き合わされるということか。冗談じゃ無いと言ってやりたいところだが……。

「おまえがそれで良いって言うなら、俺は構わないけどよ。元々インに向かうつもりだったし」

 納得なんて全くもってしていないがな。それでも、自分の気持ちに関係なく、ヨルティーと行動を共にしなければならないというのは無理矢理飲み込んだつもりだ。
 だったら、物分かりがよく見えるように頷いておくのが賢い選択ってもんである。
 自分はあくまでも、万が一の事態に備えて仲直り計画を進めておくのみだ。インに向かうということ自体には変更無いわけだしな。

「これは私が使わせてもらうぞ」

 ヨルティーはそう言うと、先程俺の手から蹴り飛ばされた銃剣を拾い上げた。

「この銃剣は召喚声歯車で作られているだろう? チクワ様は全書で声の力を与えてくれればいい。魔物が出ても全て私が相手をする」
「ホントか?」
「魔弾の声があるだろう。確か五十ページあたりだ」
「魔弾の声?」

 全書を捲り、言われた部分を確認してみる。
 確かに「魔弾の声」という、銃に力を込める声の節が――実弾ではなく、実態の無い力を込めて放つ声のようだ。
 一部奇怪な文字で書かれている声は全部は読めない。弾丸の種類はいくつか確認できる。

「元々その全書は、持ち主の所有物である召喚声歯車に対して召喚声の力を与えるものだからな」
「所有物?」
「例えばこの銃剣だ。これは召喚声歯車で作られているおまえの所有物だ。だからおまえが力を与えることができる対象になる。こう言えば伝わるか?」
「なるほど。そういうことか」

 確かに何でもかんでも力を与えることができたら、それはそれで大変な事になるな。
 召喚声が全書で力を行使するのは把握していたが、所有物限定とは初耳だ。平歯車発電を司る召喚声なんかは、完全にそれを自分の管理下に置いているということか。

「俺の持ち物の中限定で、この全書を通じて力を与えられるのか。この力は色々応用が利きそうだな」
「全書と指輪は対になっている。一冊の全書に対して指輪も一つだ。全書の装飾と指輪は、同じ一つの召喚声歯車から作られている」
「一つ? 俺とおまえの指輪で二つあるぞ?」

 自分とヨルティーの手元を見ながら首を捻る。

「そう、私の指輪は特殊なパターンだ。私は人間ではないからな」
「特殊なパターンって何だよ?」
「錆声者は物じゃないから誰かの所有物という概念が無いだろう。そこで同じ指輪をもう一つ作って私達に嵌めることで、全書との紐付けを行う」

 彼女は自分の指に嵌められた指輪を目の前に翳しながら、肩を竦めた。

「結果的にその全書を司る人間との主従関係を作るんだ。言い換えれば、私は自分の召喚声……つまりチクワ様から逃げられないということだ。その全書からしか動力を得られないのだから」
「だから俺とおまえの間で、契約関係を結ぶって表現を使ってる訳か」
「その通りだ。残念ながら人間以外はこの力は操れんからな。これからはおまえ頼りというわけだ」

 うーむ。話がこの上なく複雑になってきたぞ。
 ここで一度整理してみるか。
 
 通常、全書一冊につき、一つの指輪が作られる。
 その指輪を嵌めた者は、その全書を司り《召喚声コーラー》の力を行使することができる。

 力は《召喚声歯車コーラーギア》で作られている自分の所有物に限り与えることができる。
 ヨルティーは一度死んで蘇った《錆声者ヴォーチェ》として特別にもう一つ同じ指輪を作り嵌め、力を行使できる者……つまり俺と主従関係を結んでいる。このヨルティーとの主従関係は、力を持つこと自体とは別物――と。
 そして、この力を放り出そうと指輪を放棄すれば、身に不幸が降りかかると……。
 
 実際、指輪を放り出したとして、身に降りかかる不幸ってなんだ? ありがちな話だと、命を取られるみたいなのが想像できるが。
 状況を整理しつつも引っかかるのはやはりそこだ。
 そこをハッキリさせれば、指輪と力を放棄する選択肢も生まれるかもしれない。

「全書には目を通して必要そうなところはページを覚えておけ。私も全てを覚えているわけではないし、それを使うのはおまえだからな。肝心な時に目的の声が何処に書かれているのか分からないのでは話にならんぞ」
「確かに必要な声のページを覚えておく必要があるな」
「おまえが全書の扱いさえしっかりしてくれれば、後は私に任せろ」

 おお、頼りになる一言だぜ。こんな凶暴な女が相手なら、魔物も降りかかる厄介事もひとたまりもないだろうよ。
 もっともヨルティー自体が厄介事のような――いや、そこには突っ込んではいけない。

「では行くぞ。外はすぐそこだ」

 こうして俺は、色々思うことを抱えながら、親父の代わりにヨルティーとインに向かうことになったのだった。